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加藤 隆

一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ

一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ

人気ランキング : 141115位
定価 : ¥ 777
販売元 : 講談社
発売日 : 2002-05

価格 商品名 納期
¥ 777 一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ 通常24時間以内に発送
論理的でわかりやすくこの世の不条理を教えてくれた本。

なぜ今西欧列強が世界を牛耳っているのか、つまり勤勉で倹約家のプロ
テスタント(旧教も同じでしょうが、アジア人などと比べれば結果的に
は)が貯めた金で世界を植民地にして、まねした日本がこけたきっか
け。ウェーバーを読んでも、なぜ彼らがこの世の宝と天国の宝を同一視
できたか、私の頭ではよくわかりません。この本読んでその無限ループ
のなぞ、つまらない思い込みで、例の「自己正当化」を押しし進め、世
界方々でみんなを迷惑させた屁理屈をなんとなく理路整然と教えてくれ
る本です。

独創性は非常に難あり、内容は無難そのものです

他のレビュアーの方が既にご指摘のとおり、タイトルと内容の乖離は大きいです。本書の大部分を占める、原始キリスト教成立時のユダヤ教との相克に関する諸問題は、気のせいでしょうか(笑)、どこかで読んだようなお話が多いです。特に、第7章には問題があります。M.ウェーバー(と日本の亜流の故・大先生)の焼き直しとしか思えません。しかしながら、初学者(信徒さん)が、(日本の)プロテスタント「正統派」の信仰の弁証(方法)をざっくりと概観するためには、非常に「無難な」本だと思います。教職から怒られる・忌避される可能性は限りなく低いからです(笑)。また読み易いのも事実です。ただし、テーゼ(仮説、問題設定)を借用、あるいは先行研究が存在している場合、下衆の勘ぐりを避ける為には、その旨を明記するのが筋なのでは?と思いました。キリスト者を自認されておられるならば、なおさらです。

ユダヤ教とキリスト教の関係

本書は「神」と「人間」の深い断絶を、ユダヤ教とキリスト教がそれぞれ如何に克服しようとしてきたかを明かした一書である。律法と神殿の意義を中心に据えながら、聖書と儀式、教会と洗礼、イエス神格化の意義と影響等を述べている。便宜上細かい議論には踏み込まず、二宗教の大きな流れを追っているのが特徴だ。そのため、書中の図も大変簡潔でわかりやすくなっている。書名が一神教の「誕生」となっているが、ヤーヴェがどこから来たのか、なぜモーゼを導いたのか、なぜカナンの地をイスラエル民族に与えたかという、ユダヤ教の前提となる問いには、むしろそれらを文字どおり「前提」としてとらえ、一切答えていない。よって本書は、一神教の起りというより、ユダヤ教とキリスト教というふたつの一神教が互いにどのような関係を保ちながら展開していったかに力点が置かれているととらえたほうがいいと思われる。とりわけキリスト教会史を学ぶ人には様々な示唆を与えてくれるだろう。また、現代社会に於けるキリスト教の意義を聖と俗の構造を明かしながら詳説する第7章などは、宗教学を学ぶ人だけでなく、社会学や文化人類学等に興味のある人も楽しめるだろう。今日を生きる、特にキリスト教の聖職者が、如何にあるべきか、どのように神学に向き合っていくべきかを随所にさり気なく示している所にも、著者のひめやかで、したたかな望みが託されているような気がする。総じて、キリスト教とユダヤ教の大きな流れを掴みたい人には最適な一書といえるだろう。

なぜ一神教が誕生したのか全く説明されていない

他のオリエントの諸民族同様、古代イスラエル民族の御利益宗教に歴史の試練を経ることにより契約の概念が取り入れられ、ユダヤ教のなかの神殿主義と律法主義の対立し「罪人」の概念が発生し、それがキリスト教を生む土壌になり、西欧社会に与えた経緯を丁寧に説明している。歴史のなかでユダヤ人が「神」というものをどのようにして捉えてきたかを知るには非常に参考になる本である。反面、ユダヤ教が必然的にキリスト教に止揚されるべき存在であるかのような論調(キリスト教中心主義)、そしてもうひとつの一神教たるイスラームの問題が扱われていないことにも不満を感じる。そして何よりもギリシャ神話や日本神話などの他の多神教と隔てる、ユダヤ教の本質的な特徴である唯一神ヤーウェに対する絶対的信仰がどのような過程で歴史的に「誕生」したかの説明が、従来の仮説の踏襲で新味が全くない。この点について「一神教の誕生」という表題には「偽りあり」と評価せざるを得ない。

but today we need Him especially

“神”とは人の弱い性(サガ)が良心すなわち絶対的な倫理規範を求める手段として作り上げてきたものであろう。宗教は“神”を中心に据えることで社会機能を主張する機関である。本書ではユダヤ民族が過酷な受難の歴史を生き延びてゆく為に編み出した“神”と民との関係性(ユダヤ教)の構図、キリスト教がユダヤ教との相克の中で精神世界の支配者としての“神”と人との関係を築いてきた構図が独創的に説明されている。キリスト教が世俗界の被支配階級に対して与えた精神の自由によって近代の産業革命・科学の発展を可能にしたとの見解も興味深い。これはキリスト教が科学発展を妨害した中世暗黒時代の見方とは正反対である。しかし著者の”科学的研究”なる言葉の使用は不適切と思える。著者の言う“科!学!!的研究”は単にキリスト教発展の系統的文献調査や歴史的考証に過ぎないのでないか。科学的研究とは仮説を実験や客観的事実の観察によって証明又は否定することであり、神学の科学的研究は定義上“神”の否定に繋がるからである。また著者は“神の側”、“人間の側”、“神の支配に関しては情報だけが与えられている”などという表現を用いているように宗教者の立場に立っている。本書は一神教の成立過程を解説する社会科学書と思ったが、読み進んで行くと“神の存在”を前提とする神学的立場が明らかになってくるので本書のタイトルとの違和感は否めない。著者は神学博士なので当然であろうか。“神を頂く宗教が善である”ということは、キリスト教十字軍がユダヤ教徒やイスラム教徒を殺害・迫害し、前世紀に!お!!いてもナチスの大量虐殺をキリスト教会が非難しなかったとされることなどから、自明とはならない。“神の全面介入が望めない状況”では、人間が現在模索するべきことは、このような良心の普遍性の問題の解決ではなかろうか。
総合的にみてユダヤ教・キリスト教について本書から教えられることは非常に多い。

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