『聖書』の中の逸話はしばしば断片として独立した形で取り上げられがちです。
しかし、本書はある逸話を前後の文脈の中において解釈を試みています。
また、マタイ、マルコ、ルカといった共観福音書の中の逸話の比較を行い、
各共観福音書の性格を浮き上がらせています。
加藤氏の野心作だと思いました。
これまで加藤先生は新約聖書全般に関する概説のようなものが多かったのですが、今回は解釈の冴えといいますか、驚きの解釈をみせてくれます。例えば有名な「良きサマリア人」の物語。普通は「隣人愛を実践しましょうね」という意味に解釈されてきました。しかし、本当にそうなの?と加藤先生は静かに解釈を進めるのです。
だいたい、イエスがこのたとえを話すキッカケとなったのは、律法学者の「何をすれば、私は永遠の命を受け継ぐでしょうか」という問いかけです。しかし、この「受け継ぐ」は一人称単数なんだそうです。普通、ユダヤ教というのは共同体としていかに救われるかを追求してきました。しかし、この律法学者は自分が救われることが中心的な関心事であり、そうした場で語られた「たとえ」なわけです。イエスは逆に「どう聖書を読んできたのか」と問いかけますが、律法学者の答えは「全力をつくして神を愛し、隣人を愛することだ」というものでした。その文脈で考え、さらに「良きサマリア人」の直後に置かれている、これまた有名な「マリアとマルタのエピソード」を考えると、実はイエスが云いたかったのは「神を全力で愛することと、隣人愛のどちらが大切か」という問題で、神を全力で愛することが、隣人愛よりも上だということかもしれない、というんですね。こうした例を「放蕩息子のたとえ」「宴会への招待のたとえ」「種まきのたとえ」などでも読ませてくれます。