文庫クセジュに収められたコンパクトなパウロの解説書。平易に書かれてはいるが、凡庸な一冊ではなく何度も読み返す価値があります。ルカの使徒行伝を通読したあと、文中指摘のあるパウロ書簡の該当箇所も(書簡全文を読むにこしたことありませんが)丹念にあたりながら、本書を読み進めれば、ほぼパウロの全貌がつかめるのではないでしょうか。
彼の伝導活動が大成功をおさめたわけではないこと、『行伝』の著者は、パウロの書簡も読んでいないふしがあり、著述の目的がパウロの名声を擁護することにあったため慎重に読む必要があること、パウロの敵は、ユダヤ人やユダヤ的キリスト教徒のみでなく(ユダヤ教徒からの転向者だったから)異邦人伝導に理解の薄いエルサレム教会の批判と冷淡に終始さらされていたこと、パウロの殉死は『行伝』の末尾から数年後のことなのに、なぜか記述がないという謎が残っていることなど、教えられることが多い。
パウロの手紙をかじり読みしたかぎりでは、地方教会員への押し付けがましいお説教、イエスの死と復活を信じれば救われるという単調な繰り返しが鼻につきあまり好感しなかったが、実はこれが異境に生まれたばかりで脆弱な教会を守り、異邦人伝導を切り開くためのパウロの必死の抵抗であったこと(教会主流は異邦人信者にも割礼などユダヤ教の律法遵守を執拗に求めた)が理解できた。
終章では、生前必ずしも厚遇されなかったパウロ神学が、アウグスチヌス、宗教改革、バルト神学へていかに現代にまで影響を与え続けてきたかが記されている。
本著はなくなる直前に(78才)、老大家が書き残してくれた後世への優れた贈り物である。
『キリスト教の揺籃期』でもトロクメ先生はパウロの宣教について書いているが、それはパウロが「つまるところ、どこでも挫折を味わったのであり、このために使徒行伝の筆者がひどく控え目なのである」(p.121)ということ。そして教父文書の「クレメンスの手紙一」でも内部分裂の状況が伺えることから、ローマでよく組織された一つの教会が形成されるのは紀元64年のネロの迫害以降だったと推察しているのだが、ここらへんのほのめかしを『聖パウロ』では「もう批判されてもかまわない」とでも開き直ったかのように吹っ切れたような書き方をしている。
それは囚人としてローマに送られたパウロは到着後も比較的自由に宣教活動を行ったが、長い確執があったエルサレム教会を代表するペテロがローマにやってくると「二人の使徒のあいだのあまり模範的ではない対立によって、激しい緊張が生じた。これが95年に執筆したコリント書のなかでローマのクレメンスが示唆しているものだろう」「(ネロが)放火犯として罰するめたにキリスト教徒たちを逮捕するという六四年における帝国警察の任務は二つのグループのあいだの相互の告発にとって容易なものとなった。こうしてそれぞれのグループの指導者が、他の多くの信者とともに、命を落としたのである。この際にパウロは、ローマ市民であったために残酷な刑を免れて、オスティア街道において処刑された」(p.125)という推測。
しかし、パウロの影響下にあったグループが手紙を集めることを思いつき、それを実行することによって、今日まで残る新約聖書のうち1/3までもがパウロの名前で書かれた書簡で占められるようなことになったといのだから感慨深い。